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エジプト記 西欧

2000/08/22(火)  トゥールーズ

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シュークルート 午前0時半カイロに到着した。さっそくタクシーと交渉。15leぐらいかと思っていたが、20leまでしか下がらなかった。1時過ぎにサファリに到着。預かってもらった荷物をとり、起きていたサファリの人としばし雑談。2時半にみんなに見送られサファリの階段を降りた。サファリを出るとまたタクシー交渉。やっぱり20leよりは下がらない。
3時に、今度はカイロ空港の国際線ターミナルに到着。アリタリア航空のミラノ便にチェックイン。アリタリアのエコノミーのカウンターはとんでもなく込んでいたが、上級会員の特典でビジネスですぐにチェックインできた。ちなみにその隣がklmのカウンターだ。株主の私としては裏切ったような感じだ。
5時にカイロを離陸。席も中央の4列席の内側だった。一応、隣が空いてたので「セレクトシート」になった感じだ。機内食を食べひたすら寝た。
8時に(エジプト時間:9時)ミラノに到着した。せっかくイタリアに来たのだからピザかパスタを食べようと思っていたけど、ターミナル内にはそんなものはなかった。
10時半、トゥールーズ便に搭乗。便名はアリタリア便(az7364)になっているけど、実態はリージョナル・エアラインというフランスの航空会社の便(vm636)だ。機材はサーブ2000というプロペラ機。搭乗券がビジネスになっていたので期待していたが、席は全部同じで自由席だった。1時間ほどで、フランス・トゥールーズ空港に到着した。
 空港からはシャトルバスで20分程だ。さっそく、エジプトで買った学生証を使ってみた(18f)。町の中心を通って、駅に着いた。今にして思えば、トゥールーズで泊まるべきでなかったと思っているけど、疲れていたし、駅近くのホテルを物色した。『歩き方』にあるhôtel ambassadeursに落ち着くことにした。地方なのでtv・wc・バスタブ付きで1泊170f/\2545だった。18日からシャワーを浴びてなくなかったので、さっそくエジプトの埃を落としにかかった。
シャワーを浴びた後、飯を食いに出た。でも、ランチタイムをはずれていたため、市庁舎近くのミシュラン掲載レストランを見つけたものの、だめだった。しかたないので、適当なレストランに入った。なぜか、バスからみえたベルギーレストランle belgeが気にかかってしまい、そこのメニューを見ると、シュークルートla  chocroute(中生とで135f/\2034)があるのを見つけてしまった。シュークルートはアルザスの名物料理で、当地ではカスレle cassouletが名物だ。
食事の後、ジャコバン修道院に行った。22本の梁を1本の柱で支える珍しいゴシック建築だそうだ。その後、サン・セルナン寺院に立ち寄りホテルにもどった。この建物もそうだがトゥールーズの建物はフランスでは珍しいレンガ造りだ。

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2000/08/21(土) ルクソール

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目が覚めると9時だった。あのすばらしいといわれる「ネタルフェリの墓」はたぶん見れそうにない時間だ。サファリで行ってきた人の話によると、昨日作ったぐらいに美しい壁画が残っているそうであるが、チケット枚数が限定されているので朝一に行かなければならない。それかダフ屋から買うか。
2人は自転車で観光するとのこと、私はカルナックとハトシェプスだけ見れればいいやと思っていたので、歩いていくことにしていた。荷物をホテルで預かってもらいそれぞれ別れた。
カルナック神殿はほてるから2kmぐらいなので歩けないほどではないが、気温が日本でいう猛暑ぐらいまであがっていて、体力の消耗が激しい。やっぱり自転車で回ればよかった。
暑い中30分ほどでカルナック神殿に着いた。ここでもまた学生証が大活躍。半額になった。tbsの『世界ふしぎ発見』で何度でもみたとおり、とにかくでかい。柱とかを撮ろうしても、ファインダーに入りきらない。
カルナックを後にして、またルクソールの町の中心まで、暑い中を、戻ってきた。レストランでコシャリとチキンをを食べたがうまくない。
渡し舟でナイル西岸に渡り(1le)、今度はタクシーの交渉だ。観光客襲撃テロの舞台となったハトシェプス神殿の往復で15leということになった。西岸の見所といえば王家の谷、とりわけツタンカーメンの墓だけど、そこに副葬品が置いてあるわけでもないし、あるのは墳墓と石棺だけだ(たぶん)。ということで建築物の見学だけにしておいたが、ハトシェプス神殿はチケットを買わなくても、外から十分見れた。でもチケットを買ってしまったが。テレビでみると壮大な神殿のように感じるが、思ったより小さい。タクシーと渡船場まで戻り、これで西岸を去るのはもったいないような気もするが、東岸に戻った。
ホテルに戻り荷物を取ってきて、駅近くの土産物屋を冷やかしていると、ギター氏らと会った。彼らはこれからアスワンに行くらしい。私は駅からタクシーで空港の向かった。観光地のタクシーだけあって、20leと高かった。空港へは15分ほどで到着。一応、国際線と国内線にターミナルが別れている。私の乗る便はチェックインまで4時間待ち。

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2000/08/20(金) ルクソールへ

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7時に、サファリをチェックアウト。昨日、スルタンに泊まっているギターを持ったミュージシャンの人からルクソールに行こうと誘われ行くことになってしまった。その彼とサファリにいたもう一人と地下鉄でラムセス中央駅(50pt)に行った。列車はまあまあ込んでいたが座ることができた。
ギターの彼は切符を持っていたが、サファリの2人は持ってなかった。検札がきて学生証を見せると2人で51le(半額)になった。カイロ市街を離れると、トウモロコシとナツメヤシの風景がえんえんと続く。
16時に着くという話だが、なかなか着かない。周りのエジプト人に聞いても、次だとか、次の次だとか、あと10分とか、答えがばらばらで要領を得ない。結局18時近くになって、ルクソールに着いた。
ルクソール駅から降りると、客引きがよってはくるけど無視して、『歩き方』にあったneweveresthotelに行った。『個人旅行』では結構ひどいことが書いてあったが。。値段はエアコンなし扇風機の部屋が、ギター氏が交渉してくれて3人で18leになった。部屋が決まったあと、明日の観光をどうするかという話になったが、私はカイロに帰る航空券を買うために中座して、エジプト航空の支店に向かった。エジプト航空の支店はナイル側岸にあった。その途中、サファリの同室だった人にあった。私が「盗頂して、どこにも行く気がしなくなった」といっていたので、ルクソールに来たのを見てかなり驚いていた。彼は前日に一人でルクソールに来て、フランス人とホテルをシェアしているといっていた。日中はすごく暑いらしい。カイロまでの航空券はus$121で、22時半の便がとれた。ホテルに戻る途中にマックを発見。当地でしか買えないマックパピルスを買った。
ホテルに戻ると、2人は買い出しに行ってしまい、一人で部屋で待っているうちに寝てしまった。目を覚ますと、部屋のがきがなくなっていて、監禁状態になってしまった。しばらくすると、買い物から帰ってきた。寝ている間、部屋に戻ってきたのだが、反応がなかったのでスペアーキーで開けたと言っていた。
彼らが買ってきたものは、カレーの材料とメロンだ。ギター氏がなんと「ジャワカレー」と米を持っていた。ホテルの共同キッチンで料理し食べた。イスラム圏なので、酒が手に入らないのがつらい。

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2000/08/19(木) 沈没

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10時に目が覚めたが、体のあちこちが筋肉痛だ。日本だったら新聞を読んだり、テレビをみたり、はたまたメールを読むかもしれないけど。ここにはそんな物はない。かろうじて、どっかからもらってきた日本の本がある。その本を読み、昼寝をしているとあっという間に1日が過ぎていく。
今日の晩飯はクリームシチューだ。今晩は手伝だった。手伝うと、洗い物じゃんけんをしなくてもよくなる。リストランテ・アモーレはイタリアンだといっているけど、出てくるものは昔給食で食べた物ばかりだ。

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2000/08/18(水) ピラミッド盗頂記 (盗頂マニュアル・実習編)

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君はこの雄姿を見なくていいのか!
クフ王のピラミッドから見た、カフラー王のピラミッド


お待たせしました、いよいよピラミッド盗頂記です。
注)このページが提供している情報の内容に関して万全を期しておりますが、その内容を保証するものではありません。
また、
ピラミッド登頂は禁止された行為です。

午前0時をまわっても、私は眠れないどころか、ものすごい緊張感を感じていた。みんな私を見ると、「おやすみ」という代わりに「がんばって」と声をかけてくれた。私は情報ノートの過去の盗頂記を読み、作戦のシナリオを確認をした。小林住人も起きていたので、いろいろ過去の盗頂談(小林住人自身のも含めて)を聞いた。
小林住人によると、過去の盗頂記になかった情報として
1.20回に1回ぐらいしか、ポリスに捕まらず盗頂成功(パーフェクト)はしない。
2.捕まったら細かい身体検査がある。女の子は身体検査されない。
3.基本的にカメラは持っていっても大丈夫。しかし、壊されたケースも過去にあり。
4.賄賂は20leも渡せば絶対ok。あり金全部とられても、1~2leはバス代として返してくれる。
5.白い服のが正規の警察で、黒い服が警備員。黒い方に捕まると賄賂を持ちかけてくる。
6.拘置所拘留の最長記録は10時間。
だそうである。
隊員に女の子がいれば、彼女に貴重品を預かってもらうことも出来るけど、それが出来ない以上、私は捕まり調べられるという前提で作戦を考えた。今回キャノンのixydigitalを持っていくことにしたので、慎重を期して賄賂20leを払うことにした。ただ、これはかなり高い金額で、もっと低くても(5leとか)okである。身体検査は靴底や靴下は当然調べられるので、小林住人のアドバイスに従い、ズボンやシャツの襟の空洞部分に穴をあけて、そこに金を隠した。ズボンの空洞部分に金を隠すのは、南米を旅行する時の知恵だそうである。
午前3時、スルタンホテルから学生が訪ねてきた。彼も、昨日の朝、盗頂に行きたいということで一緒にパーティを組むことにした。寝ていた内田隊員も起こし、ピラミッドからのご来光を夢見るロマンチスト(バカ者ともいう)3人で記念撮影(左から内田隊員・私・スルタンからの学生隊員)をした。そして私は日本から持ってきたリ○ビタンdを飲んだ。
3時半、ホテルを出ると、内田隊員がタクシーを捕まえ交渉を始めている。タクシーは30とか20とか言っていたが、内田隊員は10と怒鳴り、予想通り10leで行くことになった。内田隊員によれば「気合い」だそうである。この時、誰がリーダーかは決めてなかったけど、今思うと、内田隊長なのだろうか。夜のカイロをギザに向けてタクシーは走る。途中、結婚式の集団を見たけど、こんな遅くまで騒いでいるのか。30分ほどで、ピラミッド近くまで来た。モスクが見え、内田隊長が「ストップ」と怒鳴り、気合いでタクシーを止めた。

第?次サファリ・スルタン合同ピラミッド盗頂隊。登頂への意気込みが感じられます。

タクシーを降り、昼間の下見通り、夜の村を駆け抜けた。飼い犬か野犬が鳴いていたが、犬が追いかけて来ることはなかった。ゴルフ場の壁づたいを進み、モスクの前を駆け抜け、ゴミ捨て場のところまで来た。日本みたいに街路灯などないので、月明かりのなか、夜道を来たのである。バクシーシおやじ(盗頂者を捕まえ金を要求してくるこのあたりの住民)はいなかった。満月に照らされたクフ王のピラミッドは僕たちの前に不気味な姿を浮かび上がらせている。
最初の関門は砂の崖である。足がのめり込んで、なかなか登れない。ゼイゼイ言いながらやっと登り切ると、昼間下見した墳墓群の端のところにたどり着いた。月明かりで足下が見えたので、簡単に墳墓群を駆け抜けることが出来た。その瞬間、ポリス詰め所のドアが開いた。学生隊員はかなり目がよくて、そうささやいた。とりあえず、岩陰で休んだ。私にはよく見えなかったが、ドアが開いていて、そのそばに人影が立っている。私などは単なる岩陰も人に見えてしまう。15分くらいじっとポリスを窺い、中腰で、最大の難関である女王のピラミッドの道を横切った。このあたりの200mは身を隠す物がなく、ポリス詰め所から丸見えなのだ。
5時をまわったぐらいか、太陽の船博物館の裏手を抜け、とうとうクフ王のピラミッドの南西角(左下)に着いた。いよいよ盗頂開始。もうここまで来ることでかなり疲れてしまったが、必死で登った。内田隊長はどんどん登っていく。隊長に遅れないように私も続いた。10段ぐらいのところで学生隊員が高いところは苦手と言い出して、登るのを止めてしまった。15段ぐらいのところで、下から「comedown ! (降りろ)」の声が聞こえた。私と隊長は岩に身を伏せた。たぶん下からは見えないと思う。依然として「comedown !」の声が繰り返されていたが、5分ぐらいで聞こえなくなった。学生隊員が投降したのか?彼には悪いけど、彼が囮となって、もしかしたらパーフェクトかという考えが咄嗟に出てきた。
再び登り始めた。服が汚れようが、全身を使って登った。向かいのカフラー王のピラミッドで、だいたいどのくらい登ったかわかりけど、頂上はなかなか見えてこない。下を見れば、マジで怖い。転落すれば死ぬだろう。10分ごとに休憩をとった。上に行くにつれ石は小さくなり、頂上付近は腰ぐらいの大きさになった。40分ほどでとうとう頂上についた。時刻は6時前であった。
クフ王の頂上部分は欠けていて5m四方のスペースになっている。かつての高さはそこから3mぐらい上で、その高さを示す棒が今はたてられている。6時をまわって、そろそろ日の出なのだが、曇っていて見えなかった。互いに記念撮影をし、ピラミッドを降りた。
階段を下りる要領でどんどん降りていく。残り20段くらいになったそのとき、カフラー王のピラミッドから黒服の5・6人わらわらと寄ってきた。警備員だ。黒服なので正規のツーリストポリスではない。私と隊長は素直に投降した。彼らに腕を捕まれ、太陽の船博物館のそばのプレパブ小屋に連行された。そこで身体検査。ポケットや靴と靴下の中まで調べられたが、ズボンの隙間に隠した金は見つからなかった。デジカメは当然見つかった。メモリーカードも見つかったが、これは「バッチ」だというと返してくれた。デジカメからバッテリーを抜いて、写真を消したふりをした。5分程して、一人ずつプレハブの外に呼ばれ金の交渉となった。奴らは30ほしいと言っていたが、20しかないと言うと、結局20le(\600)になった。隊長も20払った様である。ちなみに、後から来る盗頂者には悪いけど、20leというのは払いすぎだ。たぶん10leぐらいでいいと思う。数時間の拘留をいとわなければ、払わなくてもよい。カメラも返してもらえるが、フィルムは替え玉を用意すること。払ってしまえば、態度がからりと変わり、行きに登ってきた崖のところまで、正規のツーリストポリスに見つからないように手引きしてくれた。8時に、タクシーでサファリに戻った(10le)。サファリにもどると、スルタンの隊員の無事に帰って来ていた。隊長と私は盗頂成功を讃え写真をとり、カイロに来た目的を果たした私は床についた。
昼頃、汚れた服の洗濯をし、水の買い出しに行った。それ以外は、ひたすら寝た。
夕方になると、○山師の指揮の元、みんな夕食を作り始めた。私は見ているだけだった。今日のメニューはカツ丼である。イスラム圏なので肉は鶏肉だ。やっぱり、日本人が作った飯はうまい。いつものように○山師のアラビア語講座に続き、「ディナーショー」が始まった(絶唱する○山師)。そして、今夜の宴は当時サファリ2番目の滞在(1年半)を誇っていた吉田氏の送別を兼ねていた。長距離バスの時間が迫り、○山師の『真っ赤なスカーフ(宇宙戦艦ヤマトの歌)』と小林住人の紙吹雪とみんなに見送られ、吉田氏はサファリの階段を下りていった。

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2000/08/17(火) ピラミッド盗頂下見 (盗頂マニュアル・情報編)

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カフラー王。頂上部分に化粧石が残っています。

朝10時半、大阪から来たカップルと国際学生証を作りに行くことにした。サファリ近くから地下鉄(50pt)でタフリールに行き、日本領事館に行った。学生証とは関係ないが、彼らがシリアに行くためのレターを貰うためである。私はいつも短期なので、在外公館に行くのは初めてだった。その後、3人でタクシーでナイル中州のローダ島のエジプト学生旅行社に行った(1人1le)。日本に学生証を忘れてきたということにして、写真とパスポートを出して国際学生証を作った(40le)。おそらく、むこうも嘘だとは知っているとは思うけど。大学名は寄付金を払っているので母校にしておいた。
1時半サファリに戻った。兵要地誌は作戦の基本である。サファリにもかなり詳細な地図付き盗頂記はあったが、ピラミッド見物も兼ね内田隊員とギザに実地調査行くことにした。タフリールの考古学博物館横からエアコン付バスでギザに向かう(2le)。30分ほどでギザのピラミッド正面入り口に到着(img0034.jpg付近)。写真3435にあるように、隣にゴルフコースがあり、ピラミッド地区は台地になっていて、10mぐらいの砂の崖に囲まれている。午前中に作った学生証で入場(正規の半額の10le)。ラクダ引きが寄ってくるが無視。まず、盗頂時の進入ルートとなる東の墳墓群を調査した。3~5mの墳墓がいっぱい存在し、墳墓の間の通路には大きな石がゴロゴロしていて、さらに深さ3mぐらいの穴が空いている。過去の盗頂記を読むとここでポリスとの追いかけっこが繰り広げられたそうであるが、そうなった場合にはものすごくたいへんだ。でも、昼間にこのあたりを歩いている観光客はだれもいない。盗頂ルートはこの墳墓群から女王のピラミッド(クフ王隣の小さな3つのピラミッド)の下を通り、カフラー王と太陽の船博物館(img0032.jpg)間を抜けて、カフラー王に近い角から登るというものである。墳墓群や女王のピラミッドは身を隠すものがあるが、女王のピラミッドと太陽の船博物館の200mぐらいが身を隠すものがほとんどなく、レストハウスから丸見えになってしまうという最大の難所なのだ。
墳墓群を確認した後、カフラー王のピラミッドの周りを回った。メンカフラー王のピラミッド(上の地図には載っていない)は遠いのでやめておいた。カフラー王のピラミッドの頂上部分は化粧石が残っていて、かつてピラミッドは現在のような階段状ではなく、完璧な斜面だったことが分かる。そのため、カフラー王の盗頂はかなり困難なものになっており、さすがの「サファリ情報ノート」にも盗頂記録は少ない。
カフラー王に近い角の前に来ると、決して盗頂が簡単なものでなくかなり危険なものであることが実感できる(img0031.jpg)。写真からでも分かるように、1個の石の大きさは胸ぐらいの高さである。角から登ることが一番傾斜が緩くなるといっても、結構急だ。三角関数(tanθ)が不得意な人のために解説すると、ピラミッドの頂上から四隅が一番遠いので、登る角度が緩やかになる。因みに、一番急なのは各辺の真ん中(中点)。もし、警察に見つかったときは素早く10段ぐらいは登らなければならない。このとき試しに2段登ってみたけど、全身を使わなければ登れない。同士の内田隊員と大変だねと話しながら太陽の船博物館のところまで来ると、ここまで来たのだからということで、内田隊員は太陽の船博物館に入っていった。値段が20le(学生10le)+カメラ10leもするので、私は入り口で待っていた。10分ぐらいで内田隊員はでてきた、曰く「予想以上に大きい」とのこと。そしてピラミッドの石に貼ってある注意書き目にしたとき、今晩の成功を誓い合い、ピラミッドを後にした。
ピラミッドを離れて、今度は、ピラミッドへの進入ルートの下見を行った。上の地図でいうと「ギザのピラミッド」のミの字の道から、ゴルフ場づたいに歩いていった。もうこの辺は観光客がうろつく場所ではない。かつての盗頂ルートはゴルフ場に侵入するルート(通称:ゴルフ場コース)らしく、ゴルフ場の壁を乗り越えなければならなかった。そして、その壁は2mぐらいあるレンガ壁なのだが、なんとある部分が崩れかかっている(img0036.jpg)。盗頂記によれば、ドラム缶が置いてあるということだけど、なにもなかった。さらに、どんどん壁づたいに歩いていくと、ピラミッドを囲む砂の崖にたどり着き、ここからピラミッドエリアに侵入するのだ。
夜、ピラミッド行くときタクシーでピラミッド正門まで行っては行けない。タクシーはモスクの隣にあるホテルの前でおりなければならない。盗頂に必要な情報の収集を終え、またエアコンバス(2le)でカイロ市内に戻った。二人とも下見に真剣で、スフィンクスを観なかったことに気づいたのはカイロに戻ってからだった。
サファリに戻ると、この日の夜は日本大使館で日本映画上映会とかで「リストランテ・アモーレ」はお休みなので、ホテルにいた人と近くのレストランに行った。上映会に行った人たちは免税店に寄って輸入ビールを買ってきた。私も盗頂成功祝い用に2本分けてもらった(5le)。同士内田隊員はもう眠りに入っていたが、私は眠れなかった。

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2000/08/16(火) サファリホテル

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午前零時(欧州時間23時、日本時間6時)、カイロ空港に到着。入国審査の手前から現地旅行会社のエジプト人がうろうろしている不思議な空港だ。その中には、政府関係者と称してツアーを売りつけるやつもいるらしい。銀行で1万円を出してvisaと両替をした。visa代(52.5le)が引かれて、260.7le受け取った。1le(エジプトポンド)=31円だ。ちなみに1leの下にptという補助単位がある。1le=100pt(ピアストル)
入管・税関を超え到着ロビーに出たが、客引きがわっとよってくる様子もない。ロビーをうろうろしている日本人を見つけ話をしてみると、彼らもホテルとかを予約しているわけでもなく、タクシーで町の中心に行ってもぼられるしということで、朝まで空港にいることになった。まぁ、はじめからそのつもりだったけど。到着ロビーは最終便のあと掃除で追い出されるから、出発ロビーに移動したけど、ここが非常にうるさい。置いてあるイスもソファータイプではなくてプラスチックの1人用のもので寝にくい。
7時、空港をでたけど、カイロ行きバスの表示は何もない。エジプト人に訊いた、バス停らしきところで待つこと10分で、ボロいバスが来た。行き先から路線番号の数字までアラビア文字でさっぱりわからん。50ptだった。『歩き方』によれば、カイロ行きのバスはエアコン付きのピラミッド行きの2leバスと普通の50ptバスだから、これは後者のバスだ。30分ほどで考古学博物館の横に着いた。
サファリホテル 空港であった日本人とはここで別れた。彼らも安宿を探すとか言っていたから、サファリに連れてくればよかったけど。歩くこと10分、サファリのあるビルはすぐに分かった。6階まで階段を登っていくと、なにやら日本語のビラがいっぱい貼ってある。30歳までなら国際学生証が50leで作れるとのビラも・・。ホテルに入ってみると、日本人がいっぱい。マンガ・週刊誌も置いてある。ホテルに人に部屋を見せてもらった。薄暗い部屋と日当たりのいい部屋。無条件に日当たりのいい部屋を選んでしまったが、実はすごい失敗。ここはエジプトだった。すごく暑かった。おまけに、後で分かったけど、この部屋だけ扇風機がない。だけど、6leだからいいか。私の部屋にはベッドが6個、私のベッドだけ2段の上。やたらにハエがいっぱいるベッドがあって、その上に日本人宿泊者がくったーと寝ていた。まるで死体が転がっているようだ。
考古学博物館 まだみんな寝ているので(9時)、荷物をベッドに置いてロビーに行って、噂の「サファリ情報ノート」を見た。いっぱいピラミッド盗頂記が書いてある。あとはエジプト情報とかアフリカ諸国の情報があった。

昼頃になり。みんな起き出した来た。実は日本から持ってきたものがあって、15日付の朝毎読経の朝刊とバーモントカレー2箱とほんだしを滞在者に渡した。1日前の日本の新聞というのはすごいらしく、みんな新聞を読み始めた。
ホテルを出て、朝バスで着いた考古学博物館に行った。
考古学博物館は2回目だ。料金は学生証がないから20le。学生証があれば半額の10leになる。それにカメラ料金が10leかかる。とりあえず奥2階のツタンカーメンの部屋に行った。『歩き方』にも考古学博物館の見所が書いてあるし、エジプトの専門家によればここにあるものはとんでもなくすごいモノなのであるが、私にとってはツタンカーメンかファラオのミイラぐらいしか知ってるモノがない。ツタンカーメン王墓発見当時、アンケセナーメン(后)が彼のミイラに添えた矢車菊が黄金に輝く財宝よりも美しかったというのは有名な話です。2階奥の片隅に1.5mぐらいの枯れた花束が展示してあったけどこれのことなのか?博物館を適当に切り上げ、帰る途中で鶏とコシャリを食べ、サファリに戻った。
サファリに戻りると、その当時3番目に滞在が長い○山師より、オリエンテーリングがあった。○山師主宰のリストランテ・アモーレ、玄関の紙に名前を書くと晩飯を作ってくれる。その他、外国製のビールが買える話だとか、髪を切ってもらえるとか。。。単なる安宿というよりは、社会が構成されている。話によるとただで今夜、スーフィーが見られるらしく、そのツアーに行くことにした。
夕方タクシーに分乗(一人0.5le)してハーン・ハリーリのモスクのような建物に行った。行きなれてる人がいるようで一番の前で見ることが出来た。スーフィーというのはスカートをはいたおじさんが、とにかくクルクルまわる民族ダンスで、サファリの情報ノートによれば、1人目が800回、2人目が700回回るそうだけど、数えたのかなあ?
サファリに戻ると、晩飯が出来ていた。メニューは私が提供したバーモントカレーで、そのためその夜の賄い代はただにしてもらいました。食事中、○山師の「アラビア語講座」があってすごく面白い。でも面白がっているわけにもいかず、盗頂メンバーを捜さなくてはと思っていたけど、その日にチェックインした大分の学生の内田氏が一緒にいきませんかというわけで、すぐに盗頂隊が結成された。

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2000/08/15(火) departure

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日本時間 欧州時間
06:18 徹夜で荷造りをする。主な荷物は、着替え4日分だ。都営浅草線・京成特急で8:40に成田に着く(1150円)。

すべての荷物

11:00 wpシルバーエリートカードを提示して、真っ先に搭乗した。席はあらかじめ予約通りエコノミーの通路側。満席のようでセレクトシートではなかった。
10:50 成田空港離陸
11:15 ウエルカムドリンク。ハイネケンを飲んだ。(日本海)
11:50 機内映画は3本とも眠たくて観なかった。
16:45 カップヌードルが配られる。(シベリア大陸、ほぼ中間あたり?)
20:00 2回目のエサ。赤ワインを飲んだ。(バルト海)
20:50 『distination hollande』を観た。(ドイツ)
22:00 15:00 アムステルダム・スキポール空港に着陸。atmで100g引き出し、ルーレットをやった。賭けた数字がぜんぜん当たらない。大敗した。
02:00翌 19:00 カイロ便、スキポール離陸。席は中央4列席の内側だけど、隣が空席だった。
06:00 23:00 カイロ空港に着陸。エジプト時間で00:00。