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バスは30分でネヴェシェヒールのオトガルに着く。ここで長距離バスに乗り換えるのだ。ほどなくして、コンヤ行きのバスがくる。係員のオヤジにチケット見せると、これに乗れという。乗ってみると、隣の席のトルコ人のオヤジは、このバスはパムッカレに行かないと言い、確認してきてやると言わんばかりに車掌と議論し始めたが何を言っているかは分からない。どうせ自分のことではないから、すぐにおさまってしまった。
午前4時頃、車掌に起こされる。バスから降りてみると、そこはオトガルではなくて、ちょうどパムッカレに行く道に分岐する交差点で、ミニバスが待っていた。ミニバスに乗ってパムッカレ村の案内所に着いたのはちょうど明け方近くだ。
案内所で待っていると、ツアー会社のオヤジが現れ、オフィスに連れて行かれる。オフィスには怪しい日本語ポスター、「地球の歩き方」の拡大コピーに、さらにJATAの会員章まであった。ツアーの開始が10時だから、それまで$5でホテルの部屋で休めるがどうだと言ってくるので、少し高いがそうした。
10時なると、さっきのオフィスに戻り、いよいよパムッカレ観光。今日は日本人は私一人だった。あとは、カナダ、英国、南アフリカと、いかにも英語の展示会のような連中が集まってきた。どうせ英語の説明なんか当てにはしてないんだから、フランス語ツアーに混ぜてもらえばよかった。
パムッカレは綿の城という意味で、石灰棚が白く形成されている。まるで雪が積もっているようだ。パムッカレは温泉も出る。となると、当然、ローマ人はここに街を作った。明日行くことになるエフェスほどではないが、ローマ浴場跡、円形劇場跡、アーケード街跡となかなか多くが残っている。円形劇場に登ったときに、迷惑なことに、ガイドのオヤジが各国の歌を歌うことを思いついた。ということで、『さくら』か『上を向いて歩こう』(彼らはスキヤキソングという)を歌えと言ってきた。しかたなく、『さくら』を適当に歌って、英国組にバトンタッチ。英国組が当然英語の歌を歌い出すと、他の外人もそろって合唱し始めた。結局、各国語の歌を歌うことになってしまった。卑怯である。
午前はパムッカレとローマの遺跡で終了。パムッカレの見所はこれで終わってしまった。午後は滝とツアー会社のオヤジの知り合いらしい農家を「観光」したが見るべきものはなにもない。
午後5時、バスでセルチュクに移動。3時間かかる。セルチュクのオトガルで次のツアー会社のバスに乗り換えて、ホテルに向かった。セルチュクのホテルはこの旅の中で最高のホテルだった。料金はおそらく15〜20US$、先進国だったら1万円するだろう。テレビも付いている。ちなみにNEC製だった。この夜も含めて、ホテルに泊まるのはあと2回だから、リュックから不要なものをすべて捨てた。この日は近くの商店でビールを買ってきて、すぐ寝た。
次の日はエフェス