10/6
朝、起きるとドアのところに紙切れが落ちていた。となりの部屋の日本人がドアの隙間から入れたもので、昨晩は11:30頃に帰ってきたようである。貴重品を預かっていたので、朝食に誘うついでに、返してきた。食堂に行ってみると、テレビで『リボンの騎士』をやっていた。当地でも日本のアニメは放送されていた。声は吹き変えてあったが、題名と主題歌は日本語のままだ。朝食はパンと白チーズとオリーブの実にチャイ。トルコ風の朝食らしいが、せめて卵ぐらいは食べたかった。3人で食べていると、別の日本人が入っていた。彼は、10/3にロンドン経由でイスタンブール入りし10/6朝カッパドキアに着いたらしい。
9:30になると、きのうのガイドが迎えに来た。昨日のメンバーにアトランタから来たカップルに、日本人1人が追加、日本語比率は低下してしまった。第2日目はカッパドキア南部のツアーになる。ガイド曰く「ロングドライブ」になった。2時間ぐらい走って、最初の観光ポイントとなるカイマクルの地下都市に到着。
地下都市はヒッタイト時代に作られたもので、深いところで地下80mあり、2万人すむことができた。住居はもとより貯蔵庫、台所、食堂、教会、集会場などが迷路の様に作られている。深くなると、敵の攻撃を避けるために、通路も屈んでやっと通れるくらいに狭くなって、エジプトのピラミッドなみにハードな観光となる。地下80mもあるので酸欠にならないように、まっすぐに掘り下げられた排気口が完備されていて、かなり高度なテクノロジーを見ることができる。AoEのヒッタイトに「地下都市の研究」がなくて非常に残念である。あの狭い通路で地下80mを下りたと言うことは、当然あの狭い通路を80m上がることとなった。超疲れた。車はまた2時間走る。
ちょうど昼飯時分になるころだろうか、ウフララ渓谷に到着した。ガイドがドライブインのようなところに入っていくので、てっきり昼飯だと思ったが、100mの崖を階段で下りていった。ウフララ渓谷というのは、渓谷沿いに5000の住居跡と100の教会跡が残っている。簡単に言えば洞窟がたくさん残っている。これに歩いて2時間はかかる遊歩道(けもの道)があって、ここを歩かされた。昼飯前に。昼飯も昨日と同じ様なあまり旨くないものだった。トマトのサラダに、味の素があったら入れたくなるような薄味のトマトスープとシシケバブ。醤油とかあれば、日本人には食べられる味になるのだが、英米組は黙々と食べている。ただし、ビールは日本のものと同じ味だ。1缶100円前後で、レストランで飲んでも200円ぐらいだ。
次の見学地はキャラバンサライ、13世紀の隊商宿の遺跡である。石の建物はほぼ完全に残っているが、それだけである。これで最後かと思ったが、やはり絨毯屋に連れて行かれた。日本組はだれも買い物をするようなメンツではなく、早々に説明係から逃れるべく外に出てしまったが、米国組は買ったらしく、外で待つ羽目になった。ここでもドル円の格差を見せつけられた。
2日間のツアーも終わり、日本人4人でシシケバブのレストランに行った。私だけがこの日夜行で移動することになっているので、途中で抜けて、夜行バスに乗り込んだ。
次の日はパムッカレ