10/10
9時にチェックアウト。カードの伝票にとんでもなく0が並んでいる。この日の予定は、夜までに空港に行くことだけである。ホテルの建物からちょうど出たとき、日本人のオヤジが話しかけてきた。彼は昨日イスタンブールに着いて、まだ全くトルコになれてないらし。立ち話もなんだということで、朝食を一緒に食べに行くことにした。
彼は大阪で会社を経営していたのだが、折からの不況で会社をたたみ、旅に出てきた、典型的な不況型旅行者である。トルコには以前から憧憬を持っていたのがが、ほとんど準備なしに旅に出てきたようである。私ももう予定はほとんど消化してしまったので、半日彼と回ることにした。とりあえず、バスのチケットを買うために、スルタンアメフットの近くに日本人が常駐している旅行会社に行った。やはり、英語より日本語で相談ができるというのはありがたいものだ。値段は、私が行ったトルコ人だけの店とほとんど変わらなかった。彼も、私が受け取ったような手書きのバゥチャーをもらっていたが、日本語で説明を受けられるというのははやりありがたい。店の人によると、日本から、セは広島・パは日ハムが優勝したとのニュースを受け取った。
旅行会社をあとにして、地下宮殿に行った。336本もの石柱(高さ8m)で支えられた長さ140m、幅70mの地下貯水槽だ。天井から水滴は落ちてくるし、温度もひんやりして涼しい。そして「渡り廊下」のような観光用通路が柱の間をぬうように造られていて、奥の方にもいけるようになっていた。それに茶色い光の照明と、何故だか分からないが「喜多郎」の音楽が流れていた。幻想的な雰囲気を盛り上げようというのだろう。
地下宮殿を出て、あきもせず、またサバサンドを食いに行った。サバサンドを売っているガラタ橋のたもとにはエジプシャンバザールがある。エジプシャンバザールでは食料品とか売っているので、日本人を見るや、怪しい日本語でキャビアとカラスミを売りつけてくる。カラスミは100gで$10で、一緒にいたオヤジによればかなり格安らしい。買わなかったが、今にして思えば、買ってくればよかった。エジプシャンバザールから露天づたいにグランドバザールに戻って、五木寛之がよく来るという有名な喫茶店にいった。ここでトルココーヒーとチャイをごちそうになり彼と別れた。
彼と別れた後、考古学博物館に行った。トルコで発掘された古代遺跡の遺物が収集されているのだが、初期の頃に発掘された貴重なものは大英博物館とかルーブルにあるので、これといって必見というものは多くないが、アレキサンダー大王の石棺は必見だろう。
考古学博物館を出ると、時刻は夕暮れ近く。これでトルコも見納めということで、またブルーモスクの近くのベンチで佇んでいると、一見するとラオス・ビルマ系の雰囲気をもつ男が近づいてきた。日本語を話すことがわかってはじめて日本人だとわかった。彼は4ヶ月かけて、中国から陸路でトルコまで建築物を見ながら来たらしい。彼は建築関係の人で、失業者ではない。もちろんヒッチハイクではない。地球の歩き方を持って、旅に出るというのは珍しいことではなくなったが、いまでは『旅行人』というのを持って秘境ルート通るのが通の間ではやっているらしい。暇があれば是非いってみたい。
彼と話し込んでしまって、日もすっかり落ち、空港へ行く時間になった。行きに乗った空港バスは新市街まで行かなければならないし、タクシーは高い(高いといっても日本の物価水準に比べれば大したことはない)。地下鉄が空港まで3kmのところまで走っているので、地下鉄でそこまで行ってみることにした。初日に来た道を今度は逆にアクサライまで歩く。もう商店は閉めかかっている。アクサライで残ったリラをバナナにかえて、地下鉄に乗った。終点まで約20分だ。
終点の駅に降りてみると、駅前にはバスとかタクシーとかがあったが、地図を見ながら夜道を3km歩いた。自動車道の路肩を進み、検問も問題なく通過し、国際線ターミナルに到着した。
国際線ターミナルは、もう残り便数も少ないので人もまばらだ。空港職員はみんなテレビにかじりついている。空港も今回が2泊目だ。とりあえず長椅子を確保して横なっていると、そこら中で歓声があがった。何事かと思って、大騒ぎになっている救護室に方に行ってみると。トルコが1点先取したらしい。みんなドイツートルコのサッカー中継を観ていたのだ。ということで、私も最後まで観てしまった。1−0でトルコの勝ち。再び長椅子に戻って横になりながらまだ読み終わっていない『コンスタンティノープルの陥落』を読み始めた。
次の日はアムステルダム