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3/29pm 厄日

 「青の洞窟」は見れなかった。『地球の歩き方』には、たとえ「青の洞窟」が見れなくても島が美しいから来た甲斐はあると書いてあるが、やはり「青の洞窟」がなければ誰もこの島までやってこない。でも、ここまで来た以上、島の高台に登って名物のレモンチェロを飲んで行くことにしよう。高台にはケーブルカーで登る(往復1600リラ)。高台にあるカフェでレモンチェロを飲んで(9000リラ)また港のところまで降りてきた。レモンチェロは2、30度はあろうかという食後酒だが、どろっとしていて甘い。この島もそうだがナポリの家の庭にはレモンの木が多い。小瓶を1本ぐらい買っていこうと思ったけど、先は長いし荷物になる。上陸してから1時間でまた水中翼船に乗り、ナポリに戻る。
 12時にメルジェッリーナ港に戻って、そこから今度はトラム(1500リラ)で昨日行ったサンタ・ルチア港のところに行く。王宮の近くにマルゲリータを発明したとされる「ブランディ」というレストランがある。昨晩はここに行くつもりだったのだが、ここで昼飯にピザとビール(14000リラ)を食べる。言うまでもなくピザはマルゲリータである。これ以後、この旅は食べ歩きに変質してしまった。
 ピザを食べた後、駅まで戻ろうとまたトラムに乗る。ナポリの交通機関はチケット1枚で90分バス・トラムに乗れる。『地球の歩き方』に駅からサンタ・ルチア港に行くのに1か4番のトラムに乗れと書いてあったので、4番に乗れば駅に戻れるだろうと考えたのが甘かった。4番に乗ってみて、初めは昨日見た景色だと安心していたが、10分ぐらい乗っていたら、駅近くの高層ビル群が遠くに見え街の中心から遠ざかっているのに気づき、あわててトラムを降りた。ここは観光客も来ないようなところでタクシーもぜんぜんいない。でも、逆方向にいくバスが来たので訊いてみると駅まで行くということなので、このバスに乗ったが、さっきのチケットは時間切れだしもうチケットは持っていない。また10分ぐらい走って駅に着いた。
 駅で荷物をとって、ローマまでのチケットをカードで買おうとしたけど、持っていたカード2枚とも使えない。イタリアは通信回線が悪いと聞いていたが・・。しかたないので現金で払う(18000リラ)。14時06分に急行に乗ってローマへ。
 16時30分にローマ・テルミニ駅着。ローマではとりあえずフランスまでのチケットを確保しなければならない。日本のH○Sで手配すると3万円だから、目標はそれ以下である。学生向けの旅行会社CTS(*1)に行き、パリ行きの格安券があるか聞いてみたところ、明朝6時の便で28万リラでそれ以外の便はないらしい。明朝6時は早すぎるということで却下。とりあえずまたテルミニ駅まで戻る。その途中にローマ三越があったので寄ってみた。店に入った瞬間、ここは日本かと錯覚するほど日本人だらけだ。特に買い物するわけでもないので、日本語の情報誌をもらって出てきた。
 ローマは今回で3回目だ。92年以来イタリアに来ることもなかったので(*2)、1日ローマ見物をするつもりだったのだが、今はただちにイタリアを離れたい気持ちでいっぱいだ。イタリアを離れること決心し、フランスまでのルートを検討する。クックの時刻表があれば便利なのだが、駅には日本人のバックパッカーの姿はない。駅のローマ発の時刻表をみていると、19時10分パリ行きがあったが、発車まで10分をきっていたので乗れそうもない。あとフランス方面の列車ではニース行きとバーゼル(*1)行きあった。バーゼルもいったことがあったし、以前からニースのシャガール美術館に行ってみたいと思っていたので、ニースに行くことにした。日時と列車番号と行き先とさらにクッシェットと書いた紙を窓口に出して、チケットを購入した(25900リラ、1397円*3)。このクッシェット(簡易寝台)とわざわざ書き足したことが後でたいへんなことになる。安いなあとは思ったが、金額の桁も多かったし、早くイタリアを離れたい気持ちで何も不審に思わなかった。
 出発まで3時間あるので、テルミニ駅近くのレストランで夕食。2軒はしごして、ボンゴレとカルボナーラと白ワイン1本を食べる(それぞれ23000リラ、20500リラ:1397円)。
 23時、ローマ発。クッシェットの車は1コンパートメントに3段ベットが2列ある。私のコンパートメントには、イタリア青年1人にフランス人の老夫婦とペルーの新婚カップルだ。みんなで話していると、まもなく検札がやってきた。すると検札が、私が持っている「切符」はクッシェットの予約券でニースまでの切符ではないとイタリア語で言う(*4)。ニースまでの運賃65000リラをリラ現金で払えと言ってきたが、円はあるがリラはもうない。ということで、払えなければ次の駅(おそらくフィレンツェ)で降りることになるらしい。しばらくして検札がまた来て、別の車両に日本人がいたから、彼に円からリラに両替してもらえというが、イタリアを離れる日本人がリラを持っているはずがない。結局、検札の上司がやってきて、5000円とコミッション10000リラを払うことで決着した。92年にイタリアに来たときも、ローマからスイスに行く夜行列車で、列車は合っていたが車両を乗り間違えてフィレンツェで降りるはめになった。ローマ発の夜行は縁起が悪い。またイタリアでいやな思い出が増えた。

*1 スイスの町。フランス・スイス・ドイツの国境がここで交差する。
*2 今回も含めて訪欧12回中、イタリアは3回。イタリアはあまり来たくなかった。最多は当然フランスの10回。
*3夜行は一晩乗って8000〜10000円。これは安すぎる。
*4 イタリア人青年が英語に通訳してくれた。

次の日はニース