2000/03/12(日)
ペトラ

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シーク
シークから覗くエル・ハズネ

 午前1時50分(日本時間7時50分)にクィーン・アリア国際空港に着陸。東京でVISAをとっていたので入国は特に問題なし。VISAがなくても、空港で日本人は無料でとれる。とりあえず空港の銀行で1万円両替してみた。次にATMにシティカードで20JDを引き出してみた。問題なくおろせる。ヨルダンでさえもATMは24時間だ。それが日本の銀行はいまだそうではない。こんな不便な日本の銀行をいまだに利用する人の気が知れないよ。レートは銀行両替した分が1JD(ヨルダンディナール)=181円、ATM分が158円だった。結局ヨルダン観光での現金はこれで事足りた。
 この日の予定はとりあえず6時にジェットバスのオフィスに行くことなので、ホテルはとらず空港にいることにした。空港からアンマン市内は深夜は2時間に1本バスがあるので、5時のバスに乗ればいいのだけど、空港内は何もないし、横になれるベンチもないので、3時のバスに乗ってみることにした。所要時間は約50分、料金は500Fils(0.5JD)。途中2.3カ所に止まったけど、終点アブダリ・バスターミナルに着いた。日本みたいにコンビニがあるわけでもないし、何もやっていないし、誰も歩いていない
 バスターミナルにタクシーが数台いて、10JDで泊まれるホテルがあるけどって言ってきたけど、断ってジェットバスのオフィスの方に歩き出した。ジェットバスにオフィスまでは1k弱。当然やってない。今度はまたアブダリまで戻って、キング・フセイン・モスクまで歩いた。キング・フセイン・モスクはでは2kぐらい。ダウンタウンとされる地区だけど、店は何も開いていない、誰もいない。キング・フセイン・モスクのところで折り返して、またジェットバスにオフィスに戻ったところでやっと6時なった。よく不審者として逮捕されなかったと思うよ。途中で水を買った(350F)。
 ジェットバスのオフィスに戻ってみると、日本人の学生3人がいた。彼らの狙いもペトラである。彼らは昨日ドバイからヨ

ルダン入りして、ジェットバスでペトラ行きのバスが出るか聞いたようである。彼らによれば、15人そろわないとバスは出ないらしい。6時になってもオフィスは開かず、彼らからもらったパンを食べながら待っていると、20遅れてオフィスが開いた。やっぱりバスは出ない。
 外国人観光客が集まる場所にタクシーあり。タクシーの話によると、ワヘダット・バスターミナルからワディ・ムーサ(ペトラの入り口の村)のバスが出るとのこと。タクシーに聞かなくても『地球の歩き方』にも書いてあるが。タクシーでワヘダットに移動した(1.5JD)。
 10分ぐらいでワヘダットに着いた。いっぱいバス乗り場があって、行き先が表示されている。もちろんアラビア語で。読めない。アラブ人に聞いて乗

エル・ハズネ
エド・ディル

り場に行ったけど、バスは来ない。バス停もまた日本人の学生がいた。待っていると、タクシーがペトラまで行かないかと声をかけてくるけど、何時にバスが来るかもわからないので、学生の一人がタクシーと交渉し、ペトラまで一人3.5JDで行くことになった。
 タクシーはとんでもなく古いベンツ。タクシーのオヤジを含めて6人。ペトラまでは250km。アンマンを7時に出発して、南に砂漠の中のハイウェイを時速140kmでひた走る。1時間ほど走って、ドライブインでトイレ休憩。タクシーのオヤジがラジエターに水を入れてたけど、電装部品なんて一つもなかった。タクシーのオヤジとは何も会話できないので、アラビア音楽のカセットをかけてくれたけど、しょっちゅうスピーカをたたかないと音が出ない。10時にペトラに着いた。帰りは18時発で一人5JDでアンマンに戻ることで話が付いた。
 ペトラの入場料は20JD。日本円にすれば3000円ぐらいなので大したことはないが、ここはヨルダンである。1とか2JDで飯が食える国である。20JDをいうのはとんでもなく高い。それも以前は入場料は1JDだったらしいが、『インディ・ジョーンズ/最後の聖戦』で有名になってから、20JDに跳ね上がったらしい。チケット売場から1.5kmぐらい砂利道を行く。途中に墓跡が点在するが大したことはない。その後、シーク(Siq)という岩の裂け目の道に続く。崖の高さは50mぐらい、通路の幅は2〜4m。歩いていくと、いやがおうにも期待感が高まる。20分ぐらい歩いたところで、とうとう視界にエル・ハズネが飛び込んでくる。この感動は行ったものにしかわからない。
 エル・ハズネの中には、キリストが最後の晩餐で使った杯、キリスト磔の時にキリストの血を受けたといわれる聖杯が納められている。3つの神の試練に耐えたものだけが聖杯を手にすることが出来る、というのをテレビ(2000/04/15日テレ)でやってたが、そんなものは何もない。罠もない。まったくのがらんどうだ。エル・ハズネから奥に進むとローマ劇場・墓跡やら神殿跡が続々と続く。とりあえずレストランで一服、ノンアルコールビールが3JDもしたので何も買わなかったが・・・。休憩後、「エド・ディル」というところに行くことにした。地球の歩き方には「これを見ずには帰れない」と書いてある。
 レストランのところから(とんでもなく大変な)岩山を登っていく。階段やら坂道を1時間ぐらい登ったであろうかエド・ディルに着いた。エド・ディルからさらに山を登ると、荒涼と続く山々が見える。”山のあなたの空遠く、「幸」住むと人のいふ。”という詩を思い出させる。
 エド・ディルから再びもと来た道をただただ引き返す。ロバとか馬に乗るという選択肢もあったけど、歩いた。約束通り、チケット売場にはタクシーのオヤジが待っていた。行きのタクシー代もまだ払ってないので、いて当然だ。学生の一人はアカバに行くというのでここでお別れ。替わりにタクシーのオヤジの友達というのが同乗することになった。カーステレオも調子悪いし、話し相手がいた方がオヤジにとってもいいのだろう。ハイウェイをアンマンに向けて再び北上。行きと同じドライブインで休憩。ドライブインでシシケバブを焼いているのを、学生の一人が交渉してきてケバブを買ってきた。頼りになるやつである。
 9時にやっとアンマンに着いた。学生たちとはここでお別れ。彼らは明日、シリアにいくらしい。彼らと同じく安宿に泊まってもよかったのだが、一人で中級のホテルに行くことにした。歩き方にある「ラム・コンチネンタル」、1泊19JDで泊まることにした。部屋に荷物を置いて、夜のアンマンの繰り出した。キング・フセイン・モスク近くのカイロレストランに入った。すると彼らもいた。地球の歩き方をみて行動しているのだから、当然だろう。シシケバブともう1皿注文(2.4JD)。私が1泊19JDのホテルをとったといったら驚いていた。彼らのホテル(というかドミトリー)は1泊5JDだそうである。食事後、再び別れを告げホテルに戻った。横になって眠れたのは家を出てから46時間後のことであった。