2002/05/12(日) エルサレム

 7時にクリフを出発。アブダリまで歩く。アブダリのセルビス乗り場のところでエルサレムに行きたいと言ったら、セルビスのドライバーがトラブルがあって国境は10時までしか開いていない。50JD出せば間に合うと言う。実に変な話だ。トラブルがあれば国境は完全にクローズするはずだし、どうしてこの情報を知ったのか、いつ10時までしか開かないことが分かったのか尋ねても答えられない。とりあえずこのドライバーを無視していると、別の人がキング・フセイン橋(国境)行きのセルビス乗り場を教えてくれた。本当のキング・フセイン橋行きのセルビスのところに行ってみると、まだ客が2人しか集まらず出発しないようだった。クリフの情報ノートによると2.5JDだが、5JDで今すぐ出発することになった。
 7:40にアブダリを出発。アンマン市内をでると、ヨルダン渓谷をどんどん下っていく。途中、軍のチェックがあったが、9時にキング・フセイン橋のヨルダン側イミグレに到着。飛行機に乗るわけではないが、手荷物のX線検査があった。出国税(往復10JD)を払い、ヨルダン川を渡るバスを待った。出国税のレシートを見ると、キング・ハッサン・ブリッジになっていた。フセイン国王が98年に崩御したためだろう。1時間ほどしてヨルダン川を渡るバスに乗った(1.5JD)。
 ヨルダン川はまったく小さな川で、バスからもどこが川なのか分からなかった。橋も昔はしょぼいものだったらしいが、日本のODAでコンクリートの橋に掛け替えられた。橋の周りは監視塔やら監視カメラがいっぱい。橋を渡ったところで全員バスをおろされ、イスラエル軍によりバスのチェック。またバスに乗りイスラエル側のイミグレに着いた。イミグレでまずは手荷物のX線検査。空港にあるよくあるX線検査機より性能がいいものだろう。検査機内で手荷物を回転させることができる。X線検査のあとは女性兵士による尋問。「なんのために 来たか?」「どのくらいいるのか?」「イスラエルのどこに行くのか?」「エルサレムでは何を見るか?」「エルサレムのホテルは?」「現金はいくら持っているか?」「パスポートにスタンプを押していいか?」日本に帰る航空券を見せたので、そんなに怪しまれることもなかった。30分ほどで審査が終わり、入国できた。セルビス(35NIS)でヨルダン川西岸地区(某省危険度4)を抜けて、エルサレム・ダマスカス門に着いた。セルビスを降りると、クリフの情報ノート推薦のFAISAL HOSTEL(ドミ20NIS)に行った。
 ホテルに荷物を置いて、すぐさま、ダマスカス門から旧市街アラブ人地区に進入する。危険度2だそうである。地図を見、人に聞きながら、聖墳墓教会に行った。前回来たとき、巡礼者や観光客でごった返しだったが、客は誰もいない。ほとんど貸し切り状態である。前回近寄れなかったキリストの墓も写真取り放題である。聖墳墓教会の次は、西の壁(嘆きの壁)である。さすがに正統派ユダヤ教徒はいっぱいいたが、観光客がいないので写真を撮ってもらえない。糞門から旧市街を出て、ゲッセマネの園を通って、オリーブ山の登った。
 FAISALに戻ると日本人がいた。フリージャーナリストでガザに行って来たそうである。ちなみに単なる日本人観光客と割り勘で行ってきたらしい。その場にいた日本人とこのジャーナリストのコーディネーターのアラブ系イスラエル人と食事に行った。現在のイスラエルの情勢とかを聞いたり、写真を見せてもらったりした。