2000/08/16(火) サファリホテル |
午前零時(欧州時間23時、日本時間6時)、カイロ空港に到着。入国審査の手前から現地旅行会社のエジプト人がうろうろしている不思議な空港だ。その中には、政府関係者と称してツアーを売りつけるやつもいるらしい。銀行で1万円を出してvisaと両替をした。visa代(52.5le)が引かれて、260.7le受け取った。1le(エジプトポンド)=31円だ。ちなみに1leの下にptという補助単位がある。1le=100pt(ピアストル)。
入管・税関を超え到着ロビーに出たが、客引きがわっとよってくる様子もない。ロビーをうろうろしている日本人を見つけ話をしてみると、彼らもホテルとかを予約しているわけでもなく、タクシーで町の中心に行ってもぼられるしということで、朝まで空港にいることになった。まぁ、はじめからそのつもりだったけど。到着ロビーは最終便のあと掃除で追い出されるから、出発ロビーに移動したけど、ここが非常にうるさい。置いてあるイスもソファータイプではなくてプラスチックの1人用のもので寝にくい。
7時、空港をでたけど、カイロ行きバスの表示は何もない。エジプト人に訊いた、バス停らしきところで待つこと10分で、ボロいバスが来た。行き先から路線番号の数字までアラビア文字でさっぱりわからん。50ptだった。『歩き方』によれば、カイロ行きのバスはエアコン付きのピラミッド行きの2leバスと普通の50ptバスだから、これは後者のバスだ。30分ほどで考古学博物館の横に着いた。
空港であった日本人とはここで別れた。彼らも安宿を探すとか言っていたから、サファリに連れてくればよかったけど。歩くこと10分、サファリのあるビルはすぐに分かった。6階まで階段を登っていくと、なにやら日本語のビラがいっぱい貼ってある。30歳までなら国際学生証が50leで作れるとのビラも・・。ホテルに入ってみると、日本人がいっぱい。マンガ・週刊誌も置いてある。ホテルに人に部屋を見せてもらった。薄暗い部屋と日当たりのいい部屋。無条件に日当たりのいい部屋を選んでしまったが、実はすごい失敗。ここはエジプトだった。すごく暑かった。おまけに、後で分かったけど、この部屋だけ扇風機がない。だけど、6leだからいいか。私の部屋にはベッドが6個、私のベッドだけ2段の上。やたらにハエがいっぱいるベッドがあって、その上に日本人宿泊者がくったーと寝ていた。まるで死体が転がっているようだ。
まだみんな寝ているので(9時)、荷物をベッドに置いてロビーに行って、噂の「サファリ情報ノート」を見た。いっぱいピラミッド盗頂記が書いてある。あとはエジプト情報とかアフリカ諸国の情報があった。
昼頃になり。みんな起き出した来た。実は日本から持ってきたものがあって、15日付の朝毎読経の朝刊とバーモントカレー2箱とほんだしを滞在者に渡した。1日前の日本の新聞というのはすごいらしく、みんな新聞を読み始めた。
ホテルを出て、朝バスで着いた考古学博物館に行った。
考古学博物館は2回目だ。料金は学生証がないから20le。学生証があれば半額の10leになる。それにカメラ料金が10leかかる。とりあえず奥2階のツタンカーメンの部屋に行った。『歩き方』にも考古学博物館の見所が書いてあるし、エジプトの専門家によればここにあるものはとんでもなくすごいモノなのであるが、私にとってはツタンカーメンかファラオのミイラぐらいしか知ってるモノがない。ツタンカーメン王墓発見当時、アンケセナーメン(后)が彼のミイラに添えた矢車菊が黄金に輝く財宝よりも美しかったというのは有名な話です。2階奥の片隅に1.5mぐらいの枯れた花束が展示してあったけどこれのことなのか?博物館を適当に切り上げ、帰る途中で鶏とコシャリを食べ、サファリに戻った。
サファリに戻りると、その当時3番目に滞在が長い○山師より、オリエンテーリングがあった。○山師主宰のリストランテ・アモーレ、玄関の紙に名前を書くと晩飯を作ってくれる。その他、外国製のビールが買える話だとか、髪を切ってもらえるとか。。。単なる安宿というよりは、社会が構成されている。話によるとただで今夜、スーフィーが見られるらしく、そのツアーに行くことにした。
夕方タクシーに分乗(一人0.5le)してハーン・ハリーリのモスクのような建物に行った。行きなれてる人がいるようで一番の前で見ることが出来た。スーフィーというのはスカートをはいたおじさんが、とにかくクルクルまわる民族ダンスで、サファリの情報ノートによれば、1人目が800回、2人目が700回回るそうだけど、数えたのかなあ?
サファリに戻ると、晩飯が出来ていた。メニューは私が提供したバーモントカレーで、そのためその夜の賄い代はただにしてもらいました。食事中、○山師の「アラビア語講座」があってすごく面白い。でも面白がっているわけにもいかず、盗頂メンバーを捜さなくてはと思っていたけど、その日にチェックインした大分の学生の内田氏が一緒にいきませんかというわけで、すぐに盗頂隊が結成された。